「天与」(てんよ)という文字がある。これは読んで字の如く、天が与えたもの。
天からの賜(たまもの)の意を表す。
私は常々、この「天与」について考える。多くの人々がこの世に生を授かりながら
自分の与えられた御役(おやく)に気づくことは、案外少ないのである。それは
どうしてなのか?この答えは明瞭。要は「自ら天与を導かないから」である。
自分は一体なんのためにこの世に生まれてきたのか?この問いを天に向かって
投げかけることができるのは、唯一我々人間だけである。他の動物は与えられた命に
ただ真っ直ぐ忠実であり、「思考と選択の自由」までは、とても気づかないだろう。
しかし人間だけは誰にも等しく「思考と選択の自由」を与えられてこの世に在る。
もちろん取り巻く環境や時代の変化というのもあるだろう。なんでもかんでも自由を
謳歌できるものではないということも十分わかる。だが、時代の先駆者はいつも
人間であったし、この地球を「思うままに」扱えたのも人間である。
そういえばどこかの動物園で「人間」というプレートが貼ってある檻があった。
しかもその檻の中は誰でも入れる仕組みになっていて、説明書にはこう書かれている。
「人間=それは地球上で一番危険な動物」
まさしくその通り!!
人間自身が「自分たちの存在が一番脅威になること」を十分理解しているのだ。
にもかかわらず脅威から遠ざかることはない。常に脅威とは背中合わせであり、
地球の命運さえもその手に握りしめていることになる。
再び「天与」に話を戻したい。
天から与えられた賜(たまもの)なんて言うと、どうしても話が大きくなりがちで
あるが、このことをよく理解するとそうでもないことに気づく。要は気づくか、
気づかないか。ただそれだけのことなのだ。しかも御役(おやく)を果たす場所は
自分自身で見つけなければならない。誰かに与えられるものではない。既に天が
与えているのだから、あとは自分次第である。
これは私の独断と偏見かもしれないが、人間というのは、「肉体」と「精神」それと
「魂」の三位一体で存在するものだと信じている。「肉体」と「精神」というのは
いつでも自分で確認することができるものだから、否定なんぞ必要ない。むしろ
それが在ることが当たり前である。しかし「魂」だけは別の次元の話となろう。
私に言わせれば、こればかりは「己自身の存在意義を問うための根幹」であり、
先に書いた「天与」に通じるものだと確信している。
つまり我々人間にとって「魂」は、命の根源であり、原点といっても過言ではない。
それなのに気づけないのは非常に勿体ないことであるし、もっと言えばせっかく
与えられた命も無駄になってしまう・・
人生において、一体何が大切か?
それは各々の価値観に委ねるところであるが、原理原則に沿っていえば全てが
大切なのである。そして自分の「魂」に問うてみて、そこで感じたことは何の
疑いも持たず、周りに翻弄されるでもなく、まずやってみることが肝要である。
明日も引き続き「天与」について存分に語らせて頂きたい。
ありがとうございます。
感謝合掌。
遠藤 潤 拝
天からの賜(たまもの)の意を表す。
私は常々、この「天与」について考える。多くの人々がこの世に生を授かりながら
自分の与えられた御役(おやく)に気づくことは、案外少ないのである。それは
どうしてなのか?この答えは明瞭。要は「自ら天与を導かないから」である。
自分は一体なんのためにこの世に生まれてきたのか?この問いを天に向かって
投げかけることができるのは、唯一我々人間だけである。他の動物は与えられた命に
ただ真っ直ぐ忠実であり、「思考と選択の自由」までは、とても気づかないだろう。
しかし人間だけは誰にも等しく「思考と選択の自由」を与えられてこの世に在る。
もちろん取り巻く環境や時代の変化というのもあるだろう。なんでもかんでも自由を
謳歌できるものではないということも十分わかる。だが、時代の先駆者はいつも
人間であったし、この地球を「思うままに」扱えたのも人間である。
そういえばどこかの動物園で「人間」というプレートが貼ってある檻があった。
しかもその檻の中は誰でも入れる仕組みになっていて、説明書にはこう書かれている。
「人間=それは地球上で一番危険な動物」
まさしくその通り!!
人間自身が「自分たちの存在が一番脅威になること」を十分理解しているのだ。
にもかかわらず脅威から遠ざかることはない。常に脅威とは背中合わせであり、
地球の命運さえもその手に握りしめていることになる。
再び「天与」に話を戻したい。
天から与えられた賜(たまもの)なんて言うと、どうしても話が大きくなりがちで
あるが、このことをよく理解するとそうでもないことに気づく。要は気づくか、
気づかないか。ただそれだけのことなのだ。しかも御役(おやく)を果たす場所は
自分自身で見つけなければならない。誰かに与えられるものではない。既に天が
与えているのだから、あとは自分次第である。
これは私の独断と偏見かもしれないが、人間というのは、「肉体」と「精神」それと
「魂」の三位一体で存在するものだと信じている。「肉体」と「精神」というのは
いつでも自分で確認することができるものだから、否定なんぞ必要ない。むしろ
それが在ることが当たり前である。しかし「魂」だけは別の次元の話となろう。
私に言わせれば、こればかりは「己自身の存在意義を問うための根幹」であり、
先に書いた「天与」に通じるものだと確信している。
つまり我々人間にとって「魂」は、命の根源であり、原点といっても過言ではない。
それなのに気づけないのは非常に勿体ないことであるし、もっと言えばせっかく
与えられた命も無駄になってしまう・・
人生において、一体何が大切か?
それは各々の価値観に委ねるところであるが、原理原則に沿っていえば全てが
大切なのである。そして自分の「魂」に問うてみて、そこで感じたことは何の
疑いも持たず、周りに翻弄されるでもなく、まずやってみることが肝要である。
明日も引き続き「天与」について存分に語らせて頂きたい。
ありがとうございます。
感謝合掌。
遠藤 潤 拝