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2010年07月08日 木曜日

「即身成仏」からの氣づきと学び

即身成仏(そくしんじょうぶつ)と言うと、仏教を思い出しますが、私はこの
言葉に世の真理というのでしょうか、何故か奥深い意味を感じてやまないのです。

これは、私たち人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることを
教えているものですが、要は「生きながら仏になる」ということです。

私は今朝、通勤のバスの中で、ふとこんなことを思いました。

「生きるとは一体なんだろう?私のやるべき御役(おやく)に、ただ真っ直ぐ
向き合うこと、懸命に取り組むことだと私は思うが、はたしてそれで本当に
生きているということになるのだろうか?」

まるで禅問答のような、哲学追求のような、そんなことを自問自答しながら
会社に辿り着いた私。自問しながらチラチラ浮かんだのが、この「即身成仏」の
四文字でありました。死んでから気づくのはあまりにも遅すぎる。やはりこの
肉体・精神が現世に在るうちに気づくこと(悟ること)が一番肝要なのでは
ないか、と、こんなことを考えていたわけです。

随分前から「生きるとは一体なんだろう?」と自問を繰り返している私ですが、
やはり行き着く自答は、毎回「今、この場この時を懸命に生きること。」に尽きて
しまうのであります。「尽きてしまう」なんて言うと、まるで諦めたように
思いがちですが、考えれば考えるほど、そういうシンプルな答えしか鮮明に浮か
ばないのも事実なので、今はただそれを前向きに捉えることにしています。

さて、「即身成仏」ですが、たしかにこれは仏教の言葉です。が、このさい
仏教というカテゴリを飛び出して、すべての視点で改めて見てみると、やはり
この「即身成仏」の意味は非常に深く、尊いものであることがわかります。また、
深くて尊いわりには、私たち人間に対して恐ろしいほど身近で、必然でもあります。

私たちは、いつかは必ず死を迎えます。これは誰1人とて避けられない絶対のもの。
ただ私たちに在るのは、それまでの猶予期間。いわば寿命であります。寿命の
短い、長いは人それぞれに課せられたものだから、どうこう言うことはできませんが、
それでも「いつかは」死んでいくのです。

私はいつも死を考えるとき、同時に生を考えます。それが「生きるとは一体
なんだろう?」という自問です。以前の私だったら、「死は怖いもの」だという
恐怖心が先に立ってしまい、なるだけ意識しないように努めたものです。これは
別にこの世に未練があるとかではなくて、単純に死んだ後の行き先が心配だったと
いうことだけなのですが、正直、10代、20代の若者には辛い自問でありました。

今は「死」よりも、むしろ「生」が怖い。この流れていく時間の中で、
「一体何に取り組んだか?」ということを即答できないことのほうが、余程怖いので
あります。だからこそ立派な肩書きを得るとか賞賛を受けるとか、そんなことを
意識するのではなく、単に「生きる」ということを真剣に取り組んだか?ということ
自体に、畏れを感じるし、同時にそれを実践すべきという気持ちが素直に出てきます。

生きながら仏になる。この生あるうちに悟りを得ることの難しさ。厳しさ。
しかしながら、その悟りを愚直なほどに求める姿勢の美しさ、尊さ。私はそこに
人間であることの証(あかし)を強く感じられずにはいられない。

今日も「ただ今、この場この時を懸命に生きるべし」の心得で取り組みます。

ありがとうございます。


感謝合掌。
遠藤 潤 拝

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