私は二十歳の成人式を迎えたとき、そのとき勤めていた会社の社内報に
成人を迎えるにあたっての抱負を書いたことがあります。その中で私は
「人生をあきらめ、まわりに流されて生きる大人にはなりたくない。」等と
かなり生意気なことを書いてしまいました。
幼い頃から読書が好きで、とくに偉人と言われる人たちの伝記を読むのが
たまらなく大好きだった私・・そんな子ども時代の私が憧れるのは、正義で
あったり、冒険であったり、何かこう人生に対するチャレンジを常にしていくと
いうアグレッシブな生き方だったのです。
だから「あきらめる」とか「流される」ということに強い抵抗感がありましたし、
自分はそういう生き方は絶対しないぞ、と心に強く決めていたところもありました。
しかし子どもの時に抱いた決意なんて、大人になるにつれて段々と薄れていくも
のだなぁ、と気づくのにそう時間はかからなかった。
油断していると、「あきらめる」「流される」という状態に慣れてしまうようで
一度その状態に入り込んでしまうと、なかなか脱出は難しいもの。そのかわり
夢を失い、挑戦する気力さえも奪われてしまいます。私たち人間にとって、何が
一番尊いかというと、やはり「生きること」だと思うんです。しかもそれは肉体
が呼吸している、脈を打っている、血が流れているということに甘んじるのでは
なく、魂(たましい)が脈動しているものでなければいけません。
私は若い頃、とにかく希望しかなかった。大人になったら余計な制限も
取っ払われて「自由」になるんだ、と素直に信じていたのです。もちろんコネも
お金もありませんでしたけど、可能性というのは誰にでも等しく在るものだと
本気で思っていたし、そこにチャレンジするのに差別はない、と信じていました。
だからこそあんな台詞が言えたんだと思います。
「人生をあきらめ、まわりに流されて生きる大人にはなりたくない。」と・・
若気の至り?
世間を知らなすぎ?
等々、思ったこともありましたが、今の私は声を大にして言いたい。
二十歳のときに思ったことは決して嘘ではないよ、と。
そういう気持ちを継続させ、成長させていくことが肝要だったんだよ、と。
何故に、いつの間にやら「あきらめ」「流されて」いくのか。そのほうが余程
ヘンなんじゃないか、と私は思うのです。
そして気づいたときにこそ、原点回帰のチャンスです。あるいは初心に戻る
チャンスといっても過言ではありません。
夢の形は変わるかもしれないが、それを実行する人の魂は何も変わらず、ただ熱く、
一生懸命に、ひたむきに、真剣に汗を流す。そういう「生きる」という姿勢こそ
私たち人間の尊さであり、存在意義であると私は信じるのです。
ありがとうございます。
感謝合掌。
遠藤 潤 拝
成人を迎えるにあたっての抱負を書いたことがあります。その中で私は
「人生をあきらめ、まわりに流されて生きる大人にはなりたくない。」等と
かなり生意気なことを書いてしまいました。
幼い頃から読書が好きで、とくに偉人と言われる人たちの伝記を読むのが
たまらなく大好きだった私・・そんな子ども時代の私が憧れるのは、正義で
あったり、冒険であったり、何かこう人生に対するチャレンジを常にしていくと
いうアグレッシブな生き方だったのです。
だから「あきらめる」とか「流される」ということに強い抵抗感がありましたし、
自分はそういう生き方は絶対しないぞ、と心に強く決めていたところもありました。
しかし子どもの時に抱いた決意なんて、大人になるにつれて段々と薄れていくも
のだなぁ、と気づくのにそう時間はかからなかった。
油断していると、「あきらめる」「流される」という状態に慣れてしまうようで
一度その状態に入り込んでしまうと、なかなか脱出は難しいもの。そのかわり
夢を失い、挑戦する気力さえも奪われてしまいます。私たち人間にとって、何が
一番尊いかというと、やはり「生きること」だと思うんです。しかもそれは肉体
が呼吸している、脈を打っている、血が流れているということに甘んじるのでは
なく、魂(たましい)が脈動しているものでなければいけません。
私は若い頃、とにかく希望しかなかった。大人になったら余計な制限も
取っ払われて「自由」になるんだ、と素直に信じていたのです。もちろんコネも
お金もありませんでしたけど、可能性というのは誰にでも等しく在るものだと
本気で思っていたし、そこにチャレンジするのに差別はない、と信じていました。
だからこそあんな台詞が言えたんだと思います。
「人生をあきらめ、まわりに流されて生きる大人にはなりたくない。」と・・
若気の至り?
世間を知らなすぎ?
等々、思ったこともありましたが、今の私は声を大にして言いたい。
二十歳のときに思ったことは決して嘘ではないよ、と。
そういう気持ちを継続させ、成長させていくことが肝要だったんだよ、と。
何故に、いつの間にやら「あきらめ」「流されて」いくのか。そのほうが余程
ヘンなんじゃないか、と私は思うのです。
そして気づいたときにこそ、原点回帰のチャンスです。あるいは初心に戻る
チャンスといっても過言ではありません。
夢の形は変わるかもしれないが、それを実行する人の魂は何も変わらず、ただ熱く、
一生懸命に、ひたむきに、真剣に汗を流す。そういう「生きる」という姿勢こそ
私たち人間の尊さであり、存在意義であると私は信じるのです。
ありがとうございます。
感謝合掌。
遠藤 潤 拝