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2010年07月05日 月曜日

過去に囚われない生き方


「過去」というのは、二度と戻らない時間のことである。たとえば、あのとき
こうしておけばよかった、ああしておけばよかった等と悔いても、その巻き戻しは
叶わない。過去は既に過ぎ去った時間であり、同じ繰り返しはタイムマシンが
世に出ない限りあり得ない。

つまり「過去」とは、苦い思い出にせよ、良き思い出にせよ、既に済んだもの。
そこに囚われる生き方は、今この瞬間を、あるいはこれから来たる未来を認められ
ないということになってしまう。これは正直苦しいことだと思う。

私たちにとって、どんな理由があろうとも「過去」に希望は懸けられない。やはり
今この瞬間と、これより来たる未来にしか希望は懸けられないのである。もちろん、
こんなことは百も承知であろう。しかし何故か私たちは「過去」に囚われ、今日も
明日も思い煩うことが多い。

これほど無駄な時間の浪費はない。無駄どころか、この貴重な人生に対して無益で
無茶で無作法である。私たちは「過去」をどうすべきか。どう捉えるべきか?
私思うに「過去」は学びである。悔いも、笑いも、様々な思いも多々あろうとも
それを「どうにかしよう」とするのではなく、そこから学ぶことを大事と考える。

それに学びは建設的である。学ぶ姿勢に消極性なんてない。学ぶことは得ることだし、
昨日より今日、一歩も二歩も前進することなのである。たとえば「歴史に学ぶ」と
いうこともあるわけで、学びの材料としては十分すぎるほどの蓄えが過去には、ある。

私たちは「過去」に囚われている限りは、今も未来も存在する意味を持たないが、
その代わり「過去」を学びと捉えたとき、その積極的な姿勢は必ず今や未来に役立つと
私は信じている。「経験に勝る教科書はない」のと同じことだ。

経営者にとって「過去」は栄光と挫折とが複雑に入り交じったものだと思う。その
「過去」に囚われることだって正直あるわけで、そういうときはものすごく孤独だ。
やろうとすることが理解されなかったり、場合によっては頓挫したり、そのたびに
心は深く深く傷つくし、「しっかりしろ!お前が立たなくてどうするんだ!」と自身に
叱咤激励しても、どこか虚しい声のように思えたりして、そんな脆い精神状態のとき
だってある。

しかし、その叱咤激励の声は間違っていない。その声の言うように、
「しっかりしろ!お前が立たなくてどうするんだ!」が原理原則に沿って正解である。
ともかく「過去」に囚われていると、心身ともに病む。底知れない栄光と挫折が何度も
脳裏に繰り返され、窒息してしまうからである。負けないようにと踏ん張っても、
ダウンするときゃするわけで。

だからこそ今一度冷静に、「過去」を見る。二度と戻らない時間であることを再度
認識したうえで、それを学びに代える訓練を行う。これこそ自主的で厳しい修行では
あるが、それをやらないと何も得られないのも事実である。

過去に囚われない生き方とは、つまり、自分から気づくことが第一歩なのである。

「求めなさい そうすれば与えられる。」(聖書)

ありがとうございます。


感謝合掌。
遠藤 潤 拝

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