プロフィール生い立ち日記社長塾直通メール読了本このブログの感想

2010年07月02日 金曜日

「必死」が教えてくれたこと

「必死」(ひっし)という言葉があります。
これを辞書で調べると・・・

「必ず死ぬこと。」
「死ぬ覚悟で全力を尽くすこと。また、そのさま。死にものぐるい。」

と書いてありました。その他にも「命懸け」「熱心」とも解されています。
これだけ重たい言葉でもあるに関わらず「必死」というのは、日常会話でも
よく出てきます。何となく使っているのでしょうが、言葉の持つ意味は大きい。

しかし別の考え方で言えば、「人生そのものは必死であるべき」が前提かもしれ
ないな、と私は思いました。必死に生きるからこそ、何事も正々堂々と出来るし、
コソコソすることもないし、人目が気になって怯えることもない。今この場、
この時にお天道様に向かって全身を預けつつ、一生懸命生きることは本当に
凄いことなのです。それが生きることの筋であることは誰でも承知しているし、
そう生きることに憧れるが、実際は出来ないことが多い。

なぜか?
その答えも実に明確です。
要は、「覚悟が決まらないから」その1つにすべての要因が集約されています。
いろんな言い訳、理屈付けは多々出るでしょうが、それらを突き詰めたら、もう
この「覚悟」に行き着くほか、とる道はありません。

目の前に起こる出来事が、困難であろうと、喜ばしい朗報であろうと、すべては
時の流れと同じように移ろいやすいものです。それならば、それらを引っくるめて
人生のすべてに対して本気でぶつかったほうがいい。

困難も朗報も、まるで順番待ちでもしているかのように必ずやって来るのです。
逃げれば、「逃げた」という経緯のうえでの結果が産み出されますし、堂々と
立ち向かえば、その工夫や奮闘が経緯となり、そのうえでの結果が産まれる。
言い換えれば、「たったそれだけのこと」なのです。私たちは人生において
結果を求めたがります。それをやった結果はどうなるのか?努力すればどのように
報われるのか?何よりもとにかくその結果を知りたがる。

しかしながら結果は結果であって、それだからといってずっとこの先がその結果に
保証されるということもありません。所詮、結果も「この場・この時」の現象で
あるということです。それよりも重要なのは、経緯です。自らの足で歩んだ軌跡と
いうのでしょうか、そこでの経験が一番肝なのです。

結果というのは、それに対して執着しなければよいのですが、囚われたときが
最も怖い。それと私たち人間は、眼前に起こってしまったことに対して重く
受け止めてしまう傾向があり、それを明日へのバネに出来る人はよしとしても
大半は後悔とか、トラウマとか、あるいは呪縛にしてしまいます。

人生は常に「必死」(ひっし)なのです。私たちはいずれ必ず死を迎えます。
それが自然のことですし、避けようにも避けられるものでもありません。
それであれば、どう生きたか?という経緯、経験に重きを置きたいし、美学と
言われようとも、そこにこだわりを持ちたい。

「必死」(ひっし)。
本当に深い深い言葉、究極の学びですね。

ありがとうございます。


感謝合掌。
遠藤 潤 拝

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hakuoh.co.jp/presidentblog/WebApp/mt-tb.cgi/2145

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

Powered by
Movable Type 3.34